笹川家は、安土桃山時代に信濃国水内群笹川村からこの味方の地に移住しました。江戸時代には、味方組8か村(味方・白根・坂井・木場・黒鳥・北場・亀貝・小新合計8000石)を束ねる大庄屋を代々務め、年貢の取りまとめや藩から与えられた警察・裁判権を行使していました。その一方で、水害の多かったこの地域での新田開発に貢献してきました。
この旧笹川家住宅は、中之口川と味方江に面し、近郷における用排水と水運の要地に位置しています。
現在の母屋は、文政2年(1819)の火災で全焼した後、文政9年(1826)までに旧村松町の棟梁、小黒杢右衛門によって再建されたものです。
日本でも有数な規模を持つ近世後期の大庄屋の住宅です。前庭の羨望、威厳のある表座敷、高い木組み天井の広間、土庇と障子欄間、立ち並ぶ土蔵群は、いずれも雄大さと雪国らしさを兼ね備え、この地域の発展を主導した「豪農」の気概を今に伝えています。
表座敷です。太い柱に合わせて寸法の大きな畳や建具が使われ、雄大さを感じさせるものとなっています。
24畳の茶の間です。当主の居間として客の対応などに使われていました。
囲炉裏の間です。障子戸から手元を照らす光が入ってきます。
庭園にあるひょうたん池です。
米倉、飯米蔵、雑蔵など立ち並ぶ土蔵群です。まるで街並みのようです。
笹川家の家系図です。笹川家は甲斐国の武田家の後裔のようです。
笹川家の家紋でしょうか。武田菱です。
重要文化財 旧笹川家住宅
〒950‐1261
新潟市南区味方216
TEL・FAX 025‐372‐3006