全国の五十嵐姓の宗家

 

 五十嵐姓の人は、日本全国で約158,000人いらっしゃるそうです。苗字ランキングでは118位です。

新潟県では、五十嵐姓の人は約24,200人と全国一で、新潟県の苗字ランキングでも9位に位置します。

五十嵐姓の発祥の地は、ここ新潟県三条市下田の五十嵐川源流に鎮座する五十嵐神社といわれています。

五十嵐神社・家系図作成新潟

日本の大部分を統一した大和朝廷は、垂仁天皇の第8皇子の五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)を越の国の開拓に任命しました。皇子は頸城地方、上田郷そして下田郷と開拓を行い、治水や農耕の技術を教え、稲作を広めるという功績を残し、この下田郷で生涯を閉じました。五十日帯日子命の子孫が五十嵐という姓を名乗ったと云われています。

五十帯日子命・家系図作成新潟

階段を登り、奥に拝殿があります。その右横には五十日帯日子命の陵墓があります。

鎌倉幕府の御家人として源頼朝に仕えた五十嵐小文治吉辰の墓碑。拝殿の向かいにある舞殿。

五十嵐一族の館跡・家系図作成新潟

 五十嵐神社の近くにある下田郷土資料館から見た五十嵐宗家の館跡です。千数百年も繁栄した五十嵐宗家も、戦国時代に上杉家の跡目争い「御館の乱」で景虎側に付き没落しました。

 この後、五十嵐と名乗れなくなる時代が続くことで、農民になる者、商人・海運業・他の家に仕官する者と散り尻となりました。この時代の影響で発祥の地であるにも関わらず、この地には五十嵐姓は極端に少ないそうです。

 昭和46~47年に五十嵐宗家の館跡で発掘調査が行われ、中世の豪族の館跡として典型的なものと確認され、県の文化財として認定されました。

 この五十嵐宗家は(いからし)と読むそうですが、(いがらし)と読む姓もあります。一説では、(いがらし)と読む姓は、(いからし)と名乗れなかった家や(いからし)姓にあこがれを持っていた家がそのように名乗ったと云われています。

 尚、五十嵐神社では年に一度、全国五十嵐会が行われ、一族が集まり親睦を深めているそうですが、ここでは(いからし)さんだけでなく(いがらし)さんも出席可能だそうです。

 

五十嵐神社

〒955-0107

新潟県三条市大字飯田2383