北越屈指の名門、市島家

 

 市島家はもと丹波(兵庫県)に発し、1598年(慶長3年)始祖治兵衛の頃、溝口候の新発田移封に当たり加賀大聖寺より随従し、次第に栄華を極めました。

 市島宗家は当初、五十公野(現新発田市)に居を定め、次いで水原に映り、福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには県内有数の大地主として、北越屈指の豪農となりました。

 その後、戊辰の役(明治元~2年)で水原の邸宅が戦火をうけて焼失したため、市島家七代徳次郎(静月)が旧中浦村大字天王の地に移り、新たな邸宅を造営しました。これが現在の市島邸本邸です。

市島邸・家系図作成新潟

 正面の表門。見学者用の入り口はこの左側にあります。

 この邸宅は敷地8000余坪、建坪600余坪に及び、建物の大半は明治初期の代表的住宅建築として簡素優美な作風を示しています。

 本座敷と母屋をつなぐ渡り廊下。障子を開けると中庭と右手木立の奥に、賓客の接待に充てた数寄屋造りの水月庵が見通せます。

  家族の住まいとなっていた部屋・南山亭。93畳の広さがあります。落ち着いた雰囲気を楽しむことができ、四季により趣を変える庭と併せて、現在では再現できないとも言われている大正ガラスの建具にも目を惹かれます。

市島家系図・家系図作成新潟

 美術史学者、歌人、書家として著名な會津八一(1881~1956)の祖父は、市島家の分家葛塚市島家の出身であることが分かります。

 説教所。庭園の北隅に位置し、仏教の信仰に篤かった市島家歴代当主が毎月17日に僧侶を招き、村中の人を集めて説教を行った場所です。

 

新潟県指定文化財・市島邸

〒959‐2325

新潟県新発田市天王1563番地

電話 0254‐32‐2555